<第433号> 平成21.1.1 発行:刈谷医師会 責任者:会長 鈴木 邦彦
表紙説明 丑年(写真説明にかえて) 私事ですが、今年で7度の目の丑年を迎えます。 過去6回の丑年を自分史を含め振り返ってみました。 昭和12年は、盧溝橋で日中両軍の衝突、日中戦争が始まったのが生まれる1ヶ月前の事です。 国情は安定期であったと思われます。国民学校入学の頃より内地決戦・内地防衛の声がささやかれ始め、この19年の2学期終了と共に縁故疎開を強いられます。約一年間の耐乏生活ののち現住所へ。 昭和24年2度目の丑年は小学6年生。戦後再開初の修学旅行はお米持参で京・奈良へ。この年は下山事件・三鷹事件・松川事件と黒い霧に日本列島は覆われますが、その霧を払うかのように明るいビックなニュース。湯川秀樹博士にノーベル賞。 昭和36年は大学在学中。坂本九の「上を向いて歩こう」が大ヒット。平均寿命、女子が70才を超え70.3才、男子は65.4才。医学部入学を最高と喜んでくれた親父の死(52才)で最低の年となりました。 昭和48年。前年47年12月に開業。刈谷医師会の一年生で患者さんも少なく、10月にはオイル・ショックで先行き不安の多い年でありました。世界女子ゴルフ選手権で樋口久子優勝。11連勝のハイセイコーはダービーで3着。 昭和60年。長男高校3年生。医学部進学の可能性を心配する「実年」にさしかかろうとする親父の懸命に仕事に取り組む日々でした。 つくば博開催。日航ジャンボ機御巣鷹山に墜落。520名死亡。その中に前出の坂本九ちゃんも。 平成9年。還暦。2年前に初孫誕生。名実共にお祖父ちゃん。次男が前年大学卒業でやれやれ。この年消費税が3%から5%へ引き上げ。香港がイギリスから中国へ返還。ダイアナ妃の事故死等々。 7度目の丑年は如何なります事やら。 何とか健康で過ごしてこられたことに感謝しつつ、今だ息子どもにスネをかじられて仕事を続けさせていただけている事にいささかな誇りを持って今暫くは諸先生のお力をお借りして頑張ろうと年頭に思うことしきりです。 |
(永田隆郎 写真・記) |
第433号 も く じ | |
巻頭言 | |
年頭挨拶 | 会長 鈴木邦彦 |
第213回 刈谷・安城・碧南小児科医会 | |
小児急性脳症の病態解析 | 岡崎市民病院 医局次長 小児科 早川文雄先生 |
理事会メモ(第15回・第16回) | |
刈谷医師会館新築工事の状況(第2報) | |
支部だより(刈谷・知立・高浜) | |
シリーズ | 刈谷豊田総合病院 |
消化器内科紹介 | 部長 浜島英司 |
知立市の要介護認定状況 | 知立市保険健康部 長寿介護課 課長 林 隆夫 |
【2009 新春随想】 | |
2009年 新春ごあいさつ | 神谷ヨ彦 |
年頭にあたり | 鈴木信夫 |
常識と非常識 | 広瀬滋之 |
親の背 | 鈴木隆元 |
第4回 メジカルだより | 桂川兼行 |
刈谷メジカルに優勝して | 堀 正剛 |
<ハンディの部>優勝記 | 田中守嗣 |
【刈谷支部研修旅行】 | |
伊豆・淡島一泊旅行 | 菅沼良規 |
伊豆大仁カントリークラブにて | 石田和也 |
会員サロン | |
新型インフルエンザについての心配事 | 神谷雅人 |
小説 | |
無常の楼閣 | 神酒 葵(酒井 充) |
休日診療だより | 休日診療担当委員会 |
表紙説明 | |
丑年(写真説明にかえて) | 永田隆郎 |
編集後記 | 広瀬滋之 |
医師会行事予定表 |