<第347号> 平成13.11.1 発行:刈谷医師会 責任者:会長 八
木 道 之
表紙説明 来迎寺一里塚(知 立) 江戸時代初期に街道を往く旅人に路程のしるしとしてもうけられたのが一里塚であった。 その大部分は道の両側に高さ三米ほどの塚を築き、頂上に榎や松などの植物を目印として植えたものであった。 現存する一里塚は、各地さほど多くはないようだが、特に両側共に残るものは極少ないという。 その数少ない一つの来迎寺一里塚は旧東海道、知立の東のはずれに見られます。片側は道路に面していますが、他方の塚は家のうしろにかくれていて両塚を一望することは不可能です。でも一対確かに存在しています。 豊明の阿野一理塚は片側のみですが、国指定の史跡、来迎寺のそれは両側残って県指定の史跡です。 |
(永田隆郎 記) |
第347号 も く じ | |
巻頭言 | |
忙しすぎる医療現場 | 理 事 鈴木隆元 |
第162回刈谷内科医会 | |
脊髄小脳変性症の診かた | 刈谷総合病院神経内科医長 冨安 斉先生 |
理事会メモ(第12回・第13回・第14回) | |
支部だより(刈谷・知立・高浜) | |
シリーズ | |
刈谷総合病院 皮膚科の現状 | 皮膚科部長 松本修一 |
<転載・中日新聞>若い人へ、私の20代 | 刈谷総合病院院長 粟屋 忍 |
<転載・讀賣新聞>旅立ち ―59年地域医療を全う― | 中野正夫 |
第26回 | |
西三河医師会役員ゴルフ大会 | 寺尾直彦 |
表紙説明 | |
来迎寺一里塚(知立) | 永田隆郎 |
編集後記 | 神谷ヨ彦 |